◆ 著者第一句集
<そら豆をむいて素足の時間なる>
「素足の時」をいまの俳句の要諦と考えていることがわかります。もちろん「すあし」は足だけのことでなく、おのれ全身が何の付け足しもなく、直接に、対象に、ものに、接してゆきたいとの願いをあらわしているのでしょう。それ以上に真実なことはないのだし、おのれがしっかりとかかわれる、決して観念的ではなく、具体的なとらえ方ができる。作品というものは決して観念的なものではなく、むしろ観念を具体化したものだからなのです。理屈をくり出すのはやめましょう。「素足の時」とは笹本さんの求める俳句の具体的な形、イマージュと言ってよいのではないでしょうか。
平井照敏(序文より)
癒えてなほ癒えざるものや茂りくる
かはせみに川の早口ことばかな
昼顔のあくび赤子にうつりけり
はじかみにはにかみのいろありにけり
明日葉やいのちといふはまつ青な
ははといふふるさと昼寝し給へり
やはらかにわが死者もまた芽吹くなり
序文・平井照敏 装丁・君嶋真理子
四六判フランス装 209頁
●著者略歴
昭和24年3月2日東京生まれ。平成10年1月「槇」入会。平成12年1月「槇」同人。俳人協会会員