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作家論・作品鑑賞から、俳句観を中心に俳句に対する姿勢、身辺を過ぎてゆく日々に対する思いまで、俳句への興趣つきない書。三鬼論、素十論も収録する。
◆ 俳句への興趣つきない一書。三鬼論、素十論収録!
本書は1.作家論、作品鑑賞 2.実作上のこと 3.身辺エッセイの三部からなる。どのパートから読みすすんでも面白く、語り口には独特の味わいがある。(帯文より)
<目次>
●1 西東三鬼/高野素十の俳句/悼・山本健吉氏/芭蕉の花の句/小林一茶について/「雲母」終刊/『長嘯』新年の句/還るということ/寸言を汲む/芭蕉四句/波郷と登四郎と「沖」
●2 私の新人時代/誌名「門」について/私に執する文学/俳句・べからず集/一〇〇号を迎えて/師はひとり/自己更新/常套語について/句会の名乗りについて/句会/季語は約束ではない/選は創作なり/歴史的仮名遣い/季語の機能/季重なり/単純化と省略/五音の怖ろしさ/吟行は仮想出奔
●3 梅干とお茶とお香/昭和は終りぬ/「風騒の人」について/波郷先生と煙草代/三国の本屋/終戦日/喫茶店にて/逝く年くる年/特別対談宝井其角VS鈴木鷹夫/酒/救急車/生類憐みの令と芭蕉/問わず語り/言葉を考える/古稀と隠居/私の帽子遍歴/「弱法師」と「紅葉狩」/塩分/夕樹死す/喜劇/戊辰/熱帯魚/能村先生逝く
幕をおろせ。喜劇は終った。
私の好きな言葉である。十六世紀のフランスの文学者であったラブレーの臨終の言葉と伝えられる。
人間の一生を喜劇にたとえたところに強く共鳴する。これを短絡的に喜劇のようにくだらない生涯、と考えてはいけない。ある人は真に、ある人は善に、またある人は美に、この世の価値観を模索しながら、真摯に生きようとした人生も、博士や大臣を夢見て努力を重ねて来た生涯も、ともにしょせんは喜劇でしかなかった、ということだ。(本文「喜劇」より)
装丁・スタジオ・ギブ 川島進
四六判上製カバー装 273頁
●著者略歴
昭和3年東京浅草生れ、小学校一年より日本橋浜町に住む。昭和29年五年間の習作時代の後「鶴」に入会、石田波郷門となる。昭和37年「鶴」同人。昭和46年石田波郷歿後「沖」能村登四郎門となり、翌年同人。昭和54年第一句集『渚通り』上梓。これにより第八回沖賞受賞。昭和62年1月「門」を創刊主宰。現在「門」主宰「沖」同人。日本ペンクラブ・日本文芸家協会各会員。俳人協会評議員