◆百句シリーズに長谷川かな女が登場!
俳句のなかに生きて死んで
長谷川かな女は俳壇的には「ホトトギス」出身の俳人である。明治の終わりころから「ホトトギス」に投句し、やがて夫君長谷川零余子とともに「ホトトギス」では中心的な存在となり、婦人一〇句集の廻覧を手掛け、また婦人俳句会の幹事を虚子などと務めた。
第一次大戦後の大正期、日本が女子教育の重要性を啓発し始めるころに呼応するように、かな女もまた社会へ目を向け、創造の世界を開拓することを心の中に萌芽させたのであろう。
一九二〇年に零余子が「枯野」を創刊するとかな女も主要同人として活躍するようになる。
零余子が急逝し、「枯野」が「ぬかご」に改題するが、やがてかな女は「水明」の創刊主宰として独立することとなる。
以後三九年の長きにわたり浦和の地で「水明」を育てつつ、かな女自身も創造世界を深めてゆくこととなった。戦前戦後の新興俳句運動やいわゆる戦後派とは一線を画し、また根源俳句論や社会性俳句論争とも距離を置きながら独自の俳句を深めつつ、一方で人との関わりはその範囲を超え各界の著名人とは広く交流している。
かな女の創造世界の特徴は、融通無碍と言って良いであろう。また俳句だけでなく俳句エッセイの世界を大きく前進させたことの俳壇への貢献も評価されてしかるべきである。
(解説・網野月を)
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ご本の紹介→ (ふらんす堂「編集日記」)
[やまもときのすけ(1938〜)「水明俳句会」主宰]
[あみのつきお(1960〜)「水明俳句会」副主宰]
解説:網野月を
装丁:和兔
四六判変形並製カバー装
224頁
2025/09/22刊行