◆百句シリーズ
伝統に新風を
◆解説より
山田弘子は昭和九年(一九三四年)八月二十四日、兵庫県朝来郡和田山町に生まれた。父谷本米蔵、母しんの長女で五人兄妹の四人目の子であった。
但馬(兵庫県北部)は昔から文芸の盛んな土地柄であった。山一つ越えた丹波には高濱虚子の高弟であった西山泊雲、野村泊月の兄弟がおり、校長先生や友達の両親、町の散髪屋さんなど身近な大人たちも俳人というような地域であった。
また旧豊岡藩主の京極杞陽が戦後東京から豊岡に戻り「木兎」を復刊し、但馬・丹波地方の俳壇に多大な影響を与えた。
弘子は自然豊かな但馬に育ち、年少期に文芸に目覚め、四季折々の自然に対する感性を育てていった。
子育てや両親の看取りといった様々な人生の出来事に向き合いながら、日常にある詩情を鋭くすくい取り詠み続けた作品群は身近で親しみやすい。
客観写生の技量を磨き、感性を磨くことで多彩な俳句表現を習得し研鑽を重ねていくのである。
[やまだよしの(1965〜)「円虹」主宰]
装丁:和兔
四六判変形並製カバー装
224頁
2025/05/27刊行