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虚子の曽孫である著者が、一日一句という形で366日虚子作品を鑑賞。自在にしてユニークな語り口。豊富な資料に基づいた新しい見解。虚子再発見の魅力に溢れた一冊。
◆ 虚子再発見!
昨年ふらんす堂HP連載の一日一句が一冊になりました!
虚子の曽孫である著者が一日一句という形で366日虚子作品を鑑賞。自在にしてユニークな語り口。豊富な資料に基づいた新しい見解。虚子再発見の魅力に溢れた好著。
(帯文より)
文中にもあるが、作品の日付は虚子が作句した日付そのものである。平成十二年は閏年で三百六十六句であるが、漏れなく虚子は年代はともかくとして句を毎日作っていた。発見、というのも大袈裟であるが句数の少ない「特異日」のような日もあり、それなりに私にとっては興味深く調べられたと思う。
著者(あとがきより)
一月一日(元旦)
先づ女房の顔を見て年改まる
さて、第一日目から、何やら意味不明と感じた方もおられるのではないか。実はこの句には「前書き」というものがあり、それによると「鎌倉に有り偶々室を異にして同宿せる新婚の湖南に贈る」と書いてある。有名な東洋史学者である内藤湖南(一八六八〜一九三四)である。俳句を彼にプレゼントしたのである。結婚して初めての新年を迎えた瞬間、横に新妻の微笑んでいる姿がある。虚子は友人のそんなほのぼのとした情景を詠んで贈ったのである。この時まだ虚子は独身であった。明治三十年作。句集『年代順虚子俳句全集』所収。(新年・新年)
十月一日
賤ヶ嶽過ぎて稲田の開け来し
いよいよこの句から十月である。読者は御存知の事と思うが、十月といえば俳句ではもう晩秋なのである。巷では運動会や文化祭のシーズンをこれから迎える事になるのだろうが、歳時記ではいよいよ秋も終わりを告げる季題が多い。「やや寒」「うそ寒」「肌寒」「夜寒」等々晩秋の佇まいを見せている季題が多い。虚子はこの日この句の前書きによると「三国より京都へ」向かっている。(中略)この句のルートとは厳密には違うが、新幹線で米原駅へ。乗り換えてちょうど「賤ヶ嶽(正確には賤ヶ岳か)」という、あの戦国時代の合戦で有名な山の横を通る。今日の句を見て驚いたのは、平成十一年の景色とほとんど変わっていないのである。日本にはまだこんな光景が随所にみられるのだろうか。捨てたもんではない。昭和二十七年作。句集『句日記』所収。(稲・秋)
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装丁・山崎登 四六判並製カバー装 418頁